| タロット研究室/ヴィスコンティ版 その1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() Visconti Sforza Tarot Instructions by stuart R. Kaplan U.S.GAMES SYSTEMS,INC ヴィスコンティ・スフォルツァ・タロット (PIERPONT-MORGAN VISCONTI-SFORZA TAROCCHI DECK)のブックレットより |
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| ピェールポント・モルガン・ベルガモのタロッキ・デッキの複製は美術史上、またのタロット収集家や研究者にとって重大なことです。これらの珍しいカードは、十五世紀半ばのミラノに遡り、現存するヴィスコンティ・スフォルツァのタロッキ・デッキから、その実際の色調を用いてほとんど完璧に近い状態で複製されました。 イタリアが、最も早い時期ににこの地でタロットを創出したことで称えられています。神秘的で寓話からなるトランプカードを含む手描きのトランプパックのを数枚を描いたことで |
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| 「Tarocchi」という語は、イタリアでは15〜16世紀初頭に、22枚の大アルカナと、56枚の小アルカナ、またはトランプカードとスートカードからなる78枚のカードデッキを説明するために使われた語句です。Tarocchiとは、実際にはtaroccoの複数ですが、ほとんど同じ意味でどちらも用いられています。そしこのイタリア語Tarocchiから派生したフランス語の「Tarot」は、英語圏において広く普及してゆくようになります。 ※「トランプ(trump)」は、ラテン語のtriumphiから派生したもの。22枚の絵入りのカードがトライアンフ「trionfi(勝利)」)、そして、トランプ・ゲームが「Gioco dei Trionfi」と呼ばれていました。 一方「アルカナ(Arcana)」は「不思議な、秘密、神秘」を意味するラテン語であり、ラテン語から派生したイタリア語のarcanoは同じ意味。 「Greater Arcana cards=大アルナ・カード」(または、大アルカナ・カードとして知られる22枚のトランプカード)の各カードには、象徴とする寓話の絵が描かれています。「Lesser Arcana cards=小アルカナカード」(または小アルカナカードとしても知られる56枚のスートカード)には、4枚のスートカードに分けられ、各スートカードは14枚のカードからなります。この大小合わせて78枚から成るカード・デッキにも、「トランプ(trump)」という呼び方が適用されたと見られます。 現在、ニューヨークのピエールポント・モーガン・ライブラリー(the Pierpont Morgan Library) とカララ・アカダミア・ギャラリー(Galleria dell'Accademia Carrara)、そして、イタリアはベルガモのColleoniファミリーに分割されて保存されている「ヴィスコンティ・スフォルツアのタロット」。現存する最古のデッキとして知られる「ビスコンティ版」にも9つほどのタイプがあり、この「ピエールポント・モーガン・ベルガモのタロッキ」は、現存するヴィスコンティ・スフォルツァのタロッキ・デッキから本物の色調を用いて複製され、ほぼ原典であるものとして注目を集めています。 15世紀半ばのミラノを遡り、それらはほとんど完璧に近い状態だと賞賛されています。美術史のタロット収集家や研究者にとって貴重な複製品となっています。 |
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22枚の象徴、寓意(※1)による大アルカナは、人間性に影響を及ぼす物理的な力や精神的な力が、次々と絶えず変わって行く様を描写して作り上げられています。ある人たちにとっては、カードは絵のようにうち続くある人の人生の不運な出来事を表しています。 22枚の大アルカナカードは一般的な設定に従っており、英語、フランス語、イタリア語によるカードのタイトルは以下に示します。
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小アルカナと呼ばれる56枚のカードは、4つのスートに分けられそれぞれが14枚。各々、10枚のトランプカード、またはAce(エース)から10までの番号カードと4枚の宮廷カードから成ります。このスートは、通常のトランプカードと同じものです。 大昔から現代まで、多くのトランプカード製造職人たちは、星、矢、鳥、犬、タカ、鏡、コラム、月、いかりなどの沢山のスートのサインを取り入れることに努めてきました。しかし、カード製造職人たちは、一般の嗜好を突き当てませんでした。今日では米国のタロットカードパックに広まったスートサインには、以下のものがあります。 |
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| 学者の中には、初期のタロットから、現代の52枚のトランプカードが作られたと信じる者がいます。しかし、22枚の大アルカナと56枚の小アルカナがどのようにして78枚のカード・デッキとして考案されたかということを正確には誰も知りません。しばしば、小アルカナの宮廷カードは、トランプとは個々に発展したことが理論上想定され、後になって、完全なタロット・デッキを作るのにトランプが追加されたともされています。 タロットパックの小アルカナには、各スートに王、王女、騎士、召使いの4枚の宮廷カードがあります。しかし、今日のスタンダードなトランプの52枚のカードには、各スートに宮廷カードは3枚のみです。 スタンダード・デッキでは、スペインの伝統で王女が落とされたように、イリタアの人やフランスの人は単に騎士を除外していました。ドイツの伝統ではoberやunterの新しい慣習が適用されました。 時折、52枚、48枚、40枚、32枚の伝統のカード・デッキから愚者は見つかりません。19世紀の半ば以降、愚者として描かれていたジョーカーが、52枚のアメリカのパックに現れ始め、そこで、愚者とジョーカーとの明らかにユーモラスな関連性が取り沙汰されるようになりますが、どの説も意味合いを超えて立証することは困難なものです。 |
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| 十四世紀半ばから十五世紀半ばまでの100年以上もの間、ヴィスコンティ家はミラノを取り巻く広範な地域を支配していました。十四世紀後半の最も冷酷な暴君の一人であるベルナボ・ヴィスコンティ(Bernabo
Visconti)はミラノの領主でした。 ベルナボ・ヴィスコンティ(Bernabo Visconti)は、力強くて威勢がいいベルナボとは対照的に物静かで自制心が強い兄弟のガレアゾォと権力を分けました。ガレアゾォの息子で、1351年に生まれたジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティは、彼の父が黒幕として権力を維持していたように、引き続いてそのように望みませんでした。1385年のクーデターで彼は叔父のベルナボを退位させ、ミラノを単独で統治しようと考えました。以後17年間に、ジャイアン・ガレアゾォは、北イタリアを横切る山ろく地帯からアドリア海まで彼の支配領域を拡大しました。彼は統治下にあるロンバルディアやエミリアを買い付け、「ミラノの専制君主」として知られるようになりました。1395年には、ジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティはドイツのヴェンツェスラス皇帝からミラノの公爵の世襲の称号を獲得し、彼の紋章としてカタジロワシを導入しました。ジャイアン・ガレアゾォは、1402年の疫病による死までミラノで初の公爵として使えました。最初の結婚により生まれた彼の三人の息子は幼少時に皆亡くなりましたが、ジャイアン・ガレアゾォは、彼にとって二度目の結婚となる最初のいとこのカテリーナ・ヴィスコンティ(Caterina Visconti)との結婚でジィオバニ・マリア(Giovanni Maria)とフィリッポ・マリア(Filippo Maria)という二人の息子を持ちました。 ミラノの第二代公爵となったジィオバニ・マリア・ヴィスコンティ(Giovanni Maria Visconti)は、たちの悪い統治者で1412年に暗殺されました。1931年に生まれた弟のフィリッポは、パビアに追いやられましたが、後に権力を握りミラノの第三代公爵になりました。1413年、フィリッポは、ピサのFaccino Canaの未亡人、conte di tenda、Guglielmo Ventimiglia Lascarisのベアトリスと結婚しました。1418年に、彼は強姦罪ででっち上げられた彼女の首をはねました。 フィリッポは、長く治世を続けている間に公国での統一と権限を復活させました。1428年にはサボイのマリアと再婚しましたが、結婚している時に子供には一人も恵まれませんでした。フィリッポの非嫡出の娘であるビアンカ・マリア・ヴィスコンティは、1423年に彼の愛人のアグネス・デル・マイノとの間に生まれました。1432年、ビアンカは九歳の時に、ヴィスコンティに仕えたときは能力ある傭兵隊長であったフランシスコ・スフォルツァと婚約しました。イタリアで実力ある傭兵隊長であった父のムジオ・アテンドロ(Muzio Attendolo)は、1387年にデラ・スカラ家を敗退させるのにジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティ公爵を支援した時にスフォルツァ、力のニックネームを得ました。公式に家名としてスフォルツァを持つのはフランシスコが初めてでした。フランシスコとビアンカが婚約してから、1441年にクレモナのセント・シギスモンドの教会で結婚するまで九年かかりました。新婦は18歳で、新郎は40歳でしたが、長く続く幸せな結婚となりました。 フランシスコとビアンカ・マリアが結婚して6年が経った1447年、公爵ヴィスコンティは終わりを告げ、フィリッポ公爵は男の後継者を一人も残すことなく亡くなりました。ミラノでは平穏にフランシスコが後継者として受け入れられず、1450年になって彼は自らの野望に目覚め、ミラノの第四代公爵になりました。彼はそうした称号を持つ最初のスフォルツァとなり、また身分の低い家柄から公爵に成り上がった唯一の傭兵隊長でありました。全てのヴィスコンティの紋章は、残り人生の16年間、ミラノを平和に効率的に治めたフランシスコによって引き継がれました。 ヴィスコンティ・スフォルツァの家系とヴィスコンティ・スフォルツァのデッキとのつながりは、トランプカード、宮廷カード、そしてトランプ札の目に見られる紋章に基づいています。ピェールポント・モルガン・ベルガモ、ヴィスコンティ・スフォルツァのデッキに見られるヴィスコンティ家の紋章は、次の通りに説明されます。 |
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各札の絵柄に見られるヴィスコンティ家のシンボル
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