タロット研究室/ヴィスコンティ版 その1
THE VISCONTI TAROTSへの誘い PIERPONT-MORGAN VISCONTI-SFORZA TAROCCHI DECK ★2005年 『大アルカナ集中講座★
Visconti Sforza Tarot Instructions by stuart R. Kaplan
U.S.GAMES SYSTEMS,INC
ヴィスコンティ・スフォルツァ・タロット
(PIERPONT-MORGAN VISCONTI-SFORZA TAROCCHI DECK)のブックレットより

PIERPONT-MORGAN VISCONTI-SFORZA TAROCCHI DECK
ピエールポント・モーガンのヴィスコンティ・スフォルツァ・タロッキ


2006/05/31UP!
札の展開法

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 イントロダクション
 ピェールポント・モルガン・ベルガモのタロッキ・デッキの複製は美術史上、またのタロット収集家や研究者にとって重大なことです。これらの珍しいカードは、十五世紀半ばのミラノに遡り、現存するヴィスコンティ・スフォルツァのタロッキ・デッキから、その実際の色調を用いてほとんど完璧に近い状態で複製されました。
 イタリアが、最も早い時期ににこの地でタロットを創出したことで称えられています。神秘的で寓話からなるトランプカードを含む手描きのトランプパックのを数枚を描いたことで
「Tarocchi」という語は、イタリアでは15〜16世紀初頭に、22枚の大アルカナと、56枚の小アルカナ、またはトランプカードとスートカードからなる78枚のカードデッキを説明するために使われた語句です。Tarocchiとは、実際にはtaroccoの複数ですが、ほとんど同じ意味でどちらも用いられています。そしこのイタリア語Tarocchiから派生したフランス語の「Tarot」は、英語圏において広く普及してゆくようになります。
※「トランプ(trump)」は、ラテン語のtriumphiから派生したもの。22枚の絵入りのカードがトライアンフ「trionfi(勝利)」)、そして、トランプ・ゲームが「Gioco dei Trionfi」と呼ばれていました。

一方「アルカナ(Arcana)」は「不思議な、秘密、神秘」を意味するラテン語であり、ラテン語から派生したイタリア語のarcanoは同じ意味。
 「Greater Arcana cards=大アルナ・カード」(または、大アルカナ・カードとして知られる22枚のトランプカード)の各カードには、象徴とする寓話の絵が描かれています。「Lesser Arcana cards=小アルカナカード」(または小アルカナカードとしても知られる56枚のスートカード)には、4枚のスートカードに分けられ、各スートカードは14枚のカードからなります。この大小合わせて78枚から成るカード・デッキにも、「トランプ(trump)」という呼び方が適用されたと見られます。

 現在、ニューヨークのピエールポント・モーガン・ライブラリー(the Pierpont Morgan Library) とカララ・アカダミア・ギャラリー(Galleria dell'Accademia Carrara)、そして、イタリアはベルガモのColleoniファミリーに分割されて保存されている「ヴィスコンティ・スフォルツアのタロット」。現存する最古のデッキとして知られる「ビスコンティ版」にも9つほどのタイプがあり、この「ピエールポント・モーガン・ベルガモのタロッキ」は、現存するヴィスコンティ・スフォルツァのタロッキ・デッキから本物の色調を用いて複製され、ほぼ原典であるものとして注目を集めています。
15世紀半ばのミラノを遡り、それらはほとんど完璧に近い状態だと賞賛されています。美術史のタロット収集家や研究者にとって貴重な複製品となっています。
下)「恋人たち」
このカードに見られる二人の人物はフランシスコ・スフォルツアとビアンカ・マリア・ヴィスコンティを表示していると考える研究家もおります。
左)キャリー・イェール・ヴィスコンティ版 Cary-Yale Visconti 「恋人たち」
米・コネチカット州のイェール大学図書に67枚、
11枚の大アルカナと56枚の小アルカナ、
4つのスートにつき、それぞれ通常14枚あるものだが、こちらでは16枚という構成。
2枚の宮廷カードが追加されており、つまり小アルカナが
各スートにつき6枚あることになります。他にも違った構成、枚数の
ヴィスコンティ版が各地に保存されており、9タイプが確認されています。

 大アルカナ

 22枚の象徴、寓意(※1)による大アルカナは、人間性に影響を及ぼす物理的な力や精神的な力が、次々と絶えず変わって行く様を描写して作り上げられています。ある人たちにとっては、カードは絵のようにうち続くある人の人生の不運な出来事を表しています。

 22枚の大アルカナカードは一般的な設定に従っており、英語、フランス語、イタリア語によるカードのタイトルは以下に示します。
No. 英語 フランス語 イタリア語
愚か、愚か者 Le Mat, Le Fou, Le Fol Il Matto, Il Folle
I 魔術師、手品師、いかさま賭博師、クォーターペニー、カッププレイヤー、詐欺師、パガド(The Pagad)、パガト(The Pagat) Le Bateleur, Le Jouer de Gobelets Il Bagatino, Il Bagatto, Il Bagattel, Il Bagat, Il Bagotti, Il Bigatto
II 女性の祭司、女性の法王、法王、女神、バッカス(酒の女神) La Papesse La Papessa
III 女帝 L’Imperatrice L’Imperatrice
IIII 皇帝 L’Empereur L’Imperadore, L’Imperatore
V 司祭、法王、ジュピター、スペインの指導者(Spanish captain) LePape Il Papa
VI 恋人たち、結婚 L’Amoureux L’Amore, GII Amanti, GIibInnamorati
VII 戦車 Le Chariot Il Carro
VIII 審判 La Justice La Giustizia
VIIII 隠者、時の翁(father time)、せむし男 L’Ermite L’Ermita, Il Gobbo, Il Vecchio, L’Eremita
X 運命の輪 La Roue de Fortune La Ruota, Rota di Fortuna, Ruota della Fortuna, La Fortuna
XI 力(strength)、力(force)、不屈(fortitude) La Force La Fortezza, La Forza
XII 吊るされた人、吊るし人、裏切り者 Le Pendu Il Penduto, L’Appeso, Il Traditore, L’Impiccato
XIII 死に神 La Mort Il Morte, Lo Specchio, La Morte
XIIII 節制 La Temperance La Temperanza
XV 悪魔 Le Diable Il Diavolo
XVI 塔、雷の落ちた塔、神の家、病院、バベルの塔、天国の火、悪魔の家 La Maison de Dieu, Le Foudre La Casa del Diavolo, La Torre, Il Fucco, La Saetta
XVII L’Etoile La Stelle
XVIII La Lune La Luna
XVIIII 太陽 Le Soleil Il Sole
XX 審判、最後の審判、天使 Le Jugement, L’Ange L’Angelo, Il Guidizio, La Trompete
XXI 世界、宇宙 Le Monde Il Mondo
 小アルカナ

 小アルカナと呼ばれる56枚のカードは、4つのスートに分けられそれぞれが14枚。各々、10枚のトランプカード、またはAce(エース)から10までの番号カードと4枚の宮廷カードから成ります。このスートは、通常のトランプカードと同じものです。

 大昔から現代まで、多くのトランプカード製造職人たちは、星、矢、鳥、犬、タカ、鏡、コラム、月、いかりなどの沢山のスートのサインを取り入れることに努めてきました。しかし、カード製造職人たちは、一般の嗜好を突き当てませんでした。今日では米国のタロットカードパックに広まったスートサインには、以下のものがあります。
英語 フランス語 イタリア語 一致するスート
Epees Spade スペード
棒、魔法の杖、王位、バトン、警棒 Batons Bastonl クラブ
カップ、聖杯、ゴブレット Coupes Coppe ハート
コイン、お金、星形、サークル Deniers Denari ダイヤ

各スートにある4枚の宮廷カード
英語 フランス語 イタリア語
Roi Re
王女 Reine Dama
騎士、騎手 Cavalier Cavallo
小姓、悪者 Valet Fante
 
 学者の中には、初期のタロットから、現代の52枚のトランプカードが作られたと信じる者がいます。しかし、22枚の大アルカナと56枚の小アルカナがどのようにして78枚のカード・デッキとして考案されたかということを正確には誰も知りません。しばしば、小アルカナの宮廷カードは、トランプとは個々に発展したことが理論上想定され、後になって、完全なタロット・デッキを作るのにトランプが追加されたともされています。
 タロットパックの小アルカナには、各スートに王、王女、騎士、召使いの4枚の宮廷カードがあります。しかし、今日のスタンダードなトランプの52枚のカードには、各スートに宮廷カードは3枚のみです。
 スタンダード・デッキでは、スペインの伝統で王女が落とされたように、イリタアの人やフランスの人は単に騎士を除外していました。ドイツの伝統ではoberやunterの新しい慣習が適用されました。

 時折、52枚、48枚、40枚、32枚の伝統のカード・デッキから愚者は見つかりません。19世紀の半ば以降、愚者として描かれていたジョーカーが、52枚のアメリカのパックに現れ始め、そこで、愚者とジョーカーとの明らかにユーモラスな関連性が取り沙汰されるようになりますが、どの説も意味合いを超えて立証することは困難なものです。
 ヴィスコンティ家とスフォルツァ家
 十四世紀半ばから十五世紀半ばまでの100年以上もの間、ヴィスコンティ家はミラノを取り巻く広範な地域を支配していました。十四世紀後半の最も冷酷な暴君の一人であるベルナボ・ヴィスコンティ(Bernabo Visconti)はミラノの領主でした。
 ベルナボ・ヴィスコンティ(Bernabo Visconti)は、力強くて威勢がいいベルナボとは対照的に物静かで自制心が強い兄弟のガレアゾォと権力を分けました。ガレアゾォの息子で、1351年に生まれたジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティは、彼の父が黒幕として権力を維持していたように、引き続いてそのように望みませんでした。1385年のクーデターで彼は叔父のベルナボを退位させ、ミラノを単独で統治しようと考えました。以後17年間に、ジャイアン・ガレアゾォは、北イタリアを横切る山ろく地帯からアドリア海まで彼の支配領域を拡大しました。彼は統治下にあるロンバルディアやエミリアを買い付け、「ミラノの専制君主」として知られるようになりました。1395年には、ジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティはドイツのヴェンツェスラス皇帝からミラノの公爵の世襲の称号を獲得し、彼の紋章としてカタジロワシを導入しました。ジャイアン・ガレアゾォは、1402年の疫病による死までミラノで初の公爵として使えました。最初の結婚により生まれた彼の三人の息子は幼少時に皆亡くなりましたが、ジャイアン・ガレアゾォは、彼にとって二度目の結婚となる最初のいとこのカテリーナ・ヴィスコンティ(Caterina Visconti)との結婚でジィオバニ・マリア(Giovanni Maria)とフィリッポ・マリア(Filippo Maria)という二人の息子を持ちました。
 ミラノの第二代公爵となったジィオバニ・マリア・ヴィスコンティ(Giovanni Maria Visconti)は、たちの悪い統治者で1412年に暗殺されました。1931年に生まれた弟のフィリッポは、パビアに追いやられましたが、後に権力を握りミラノの第三代公爵になりました。1413年、フィリッポは、ピサのFaccino Canaの未亡人、conte di tenda、Guglielmo Ventimiglia Lascarisのベアトリスと結婚しました。1418年に、彼は強姦罪ででっち上げられた彼女の首をはねました。
 フィリッポは、長く治世を続けている間に公国での統一と権限を復活させました。1428年にはサボイのマリアと再婚しましたが、結婚している時に子供には一人も恵まれませんでした。フィリッポの非嫡出の娘であるビアンカ・マリア・ヴィスコンティは、1423年に彼の愛人のアグネス・デル・マイノとの間に生まれました。1432年、ビアンカは九歳の時に、ヴィスコンティに仕えたときは能力ある傭兵隊長であったフランシスコ・スフォルツァと婚約しました。イタリアで実力ある傭兵隊長であった父のムジオ・アテンドロ(Muzio Attendolo)は、1387年にデラ・スカラ家を敗退させるのにジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティ公爵を支援した時にスフォルツァ、力のニックネームを得ました。公式に家名としてスフォルツァを持つのはフランシスコが初めてでした。フランシスコとビアンカが婚約してから、1441年にクレモナのセント・シギスモンドの教会で結婚するまで九年かかりました。新婦は18歳で、新郎は40歳でしたが、長く続く幸せな結婚となりました。
 フランシスコとビアンカ・マリアが結婚して6年が経った1447年、公爵ヴィスコンティは終わりを告げ、フィリッポ公爵は男の後継者を一人も残すことなく亡くなりました。ミラノでは平穏にフランシスコが後継者として受け入れられず、1450年になって彼は自らの野望に目覚め、ミラノの第四代公爵になりました。彼はそうした称号を持つ最初のスフォルツァとなり、また身分の低い家柄から公爵に成り上がった唯一の傭兵隊長でありました。全てのヴィスコンティの紋章は、残り人生の16年間、ミラノを平和に効率的に治めたフランシスコによって引き継がれました。
 ヴィスコンティ・スフォルツァの家系とヴィスコンティ・スフォルツァのデッキとのつながりは、トランプカード、宮廷カード、そしてトランプ札の目に見られる紋章に基づいています。ピェールポント・モルガン・ベルガモ、ヴィスコンティ・スフォルツァのデッキに見られるヴィスコンティ家の紋章は、次の通りに説明されます。


各札の絵柄に見られるヴィスコンティ家のシンボル



公爵の王冠

太陽

一族のモットー

1. 黒タカ(カタジロワシ)
真っ直ぐに放射される線を持つ鳥、おそらく鳩は、王、王女、棒を持つ召使いのカードに見られます。その鳥の下には、三羽の雛鳥がいる巣があり、この紋章はコインのスートのイェール・デッキに見られます。

黒タカは皇帝カード、女帝カードなどに見られ、1395年、Wenceslas皇帝から出て来ました。想像では、この紋章は皇帝自身の象徴と言えます。


2.公爵の王冠
公爵の王冠に枝または葉が付けられたもので、女帝、皇帝、カップの騎士にある馬の飾り衣装などにこうした王冠が見られます。


3.太陽
波状で真っ直ぐの線が入り混じったホタテガイの貝殻模様の光線で描かれた太陽は、法王、恋人たち、戦車、正義、運命の輪、審判、棒を持った騎士がまとった馬の飾り衣装、カップのスートの宮廷カード、そしてエース以外の全てのコインカードなどに見られます。


4.A bon droyt  一族のモットー
「善は権利である」または「法に従え」。


タロットに関連するヴィスコンティ家を遡る (2006/03/20UP)
  略年表の整理
1351年 ミラノの領主ベルナボ・ヴィスコンティ(Bernabo Visconti)の弟、ガレアゾォ・ヴィスコンティに息子、ジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティ生まれる
1385年 ジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティのクーデター。暴君ベルナボ・ヴィスコンティ(Bernabo Visconti)退位
その後、ジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティは、いとこのカテリーナ・ヴィスコンティ(Caterina Visconti)と二度目の結婚。息子ジィオバニ・マリア(Giovanni Maria)が生まれる。
1387年 イタリアで実力ある傭兵隊長ムジオ・アテンドロ(Muzio Attendolo)が、デラ・スカラ家を敗退させるのにジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティを支援し、「Sforzaスフォルツァ(力)」の称号を得る。
1391年 ジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティに、第二子フィリッポ・マリア(Filippo Maria)が生まれる。
1395年 ジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティがドイツのヴェンツェスラス皇帝からミラノ公爵の称号を獲得。紋章としてカタジロワシを導入
1402年 ジャイアン・ガレアゾォ公爵没
1412年 ミラノの第二代公爵となったジャイアン・ガレアゾォの息子「ジィオバニ・マリア・ヴィスコンティ(Giovanni Maria Visconti)」が暗殺される
ジィオバニの弟、フィリッポ・マリアはパビアに追放されるが、後に再び権力を握って、第三代公爵となる。
1413年 フィリッポ・マリアが、ピサのベアトリスと結婚
1418年 フィリッポ・マリア、妻を姦淫罪で処罰
1428年 フィリッポ・マリア、サボイのマリアと再婚。
フィリッポは、長く治世を続けている間に公国での統一と権限を復活させました。
1423年 フィリッポ・マリアと愛人のアグネス・デル・マイノとの間に、娘のビアンカ・マリア・ヴィスコンティが生まれる
1432年 ビアンカ・マリア・ヴィスコンティ9歳の時、ヴィスコンティに仕えた能力な傭兵隊長・フランシスコ・スフォルツァと婚約。
その父がムジオ・アテンドロ(Muzio Attendolo)。1387年にジャイアン・ガレアゾォ・ヴィスコンティから「スフォルツァ(力)」の称号を得た衛兵隊長である。

※公式に家名としてスフォルツァを持つのはフランシスコが初めて

1441年 フランシスコ・スフォルツァとビアンカ・マリア・ヴィスコンティがクレモナのセント・シギスモンドの教会で結婚。新婦は18歳、新郎は40歳。以降、長く続く幸せな結婚となったといわれる
1447年 フィリッポ・マリア・ヴィスコンティ公爵没。
娘婿のフランシスコ・スフォルツァは、当初ミラノでは後継者として認められなかった
1450年 フランシスコ・スフォルツァが、ミラノの第四代公爵になる
身分の低い家柄から公爵に成り上がった唯一の傭兵隊長、フランシスコ・スフォルツァ。全てのヴィスコンティの紋章は、残り人生の16年間、ミラノを平和に効率的に治めたフランシスコによって引き継がれたのでした。
ヴィスコンティ家の人々、肖像画
参考URL http://www.kleio.org/buecher/visconti.html

http://www.kleio.org/monalisa/monalisa.html
ムジオ・アテンドロ Muzio Attendolo Sforza
http://www.kleio.org/monalisa/genealogy/167.htm

フィリッポ・マリア・ヴィスコンティ公爵 Filippo Maria Visconti
http://www.kleio.org/monalisa/g_eng/1064.htm


ビアンカ・マリア・ヴィスコンティ Bianca Maria Visconti
http://www.kleio.org/monalisa/genealogy/829.htm


フランシスコ・スフォルツァ Francesco Sforza
http://www.kleio.org/monalisa/genealogy/054.htm


ロドヴィゴ・イル・モーロ Lodovico Maria il Moro Sforza
http://www.kleio.org/monalisa/genealogy/350.htm

※次回はこの人物の特集!お楽しみに☆
第一回 第二回 第三回 第四回

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