ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックが、スフォルツァ家最初のミラノ公となったフランチェスコ・スフォルツァのために描かれたものであることは、大方が同意するところです。彼の前任者は、第3代ミラノ公、フィリッポ・マリア・ヴィスコンティでした。フランチェスコはcondottiere、すなわち傭兵隊長として、ミラノとベニスの両方に仕えました。1441年、スフォルツァは、フィリッポ・マリアとその愛人Agnese del Mainoとの間の娘で、フィリッポ・マリアの唯一の子であったビアンカ・マリアと結婚します。スフォルツァは、フィリッポ・マリアが、自分を後継者として指名してくれるよう望みましたが、フィリッポ・マリアが後継者の指名をしないまま、1447年に亡くなると、ミラノ市民はアンブロジアーナ共和国を宣言します。フランチェスコ・スフォルツァが公位を継承できたのは、ロンバルディーの都市を一つ、また一つと攻略し、最終的に、1450年にようやく、ミラノの降伏を受け入れた後のことです。公位は、世襲によって受け継がれるべきものであり、もちろん、フランチェスコ・スフォルツァは、正当な公位継承権を持たなかったのですが。彼は、自らが、ヴィスコンティによる統治の正当な継承者であると思わせたいと躍起になっていました。ですから、ヴィスコンティ家の紋章やモットーなども全て、自らのものとして継承したのです。スフォルツァ家の独特の紋章である三つの繋がった輪と共に、ヴィスコンティ家の紋章がいくつも描かれていることこそ、ヴィスコンティ・スフォルツァ・カードがフランチェスコのために作られたことを示す決定的な証拠となるのです。三つの輪は、月桂樹や椰子の葉(ヴィスコンティ家の紋章)と共に、公爵の冠と関連付けられ、「皇帝」や「女帝」の装束に描かれています。フランチェスコが、自ら公位を継承する以前に、そのような関連付けを容認するとは考えられません。したがって、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックが描かれたのは、1450年以降と考えて間違いありません。