タロット研究室/ヴィスコンティ版 その3 〜デッキの分類と識別〜
Visconti Sforza Tarot Cards
ヴィスコンティ・スフォルツァ・タロット

マイケル・ダメットの書籍より
ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックが、スフォルツァ家最初のミラノ公となったフランチェスコ・スフォルツァのために描かれたものであることは、大方が同意するところです。彼の前任者は、第3代ミラノ公、フィリッポ・マリア・ヴィスコンティでした。フランチェスコはcondottiere、すなわち傭兵隊長として、ミラノとベニスの両方に仕えました。1441年、スフォルツァは、フィリッポ・マリアとその愛人Agnese del Mainoとの間の娘で、フィリッポ・マリアの唯一の子であったビアンカ・マリアと結婚します。スフォルツァは、フィリッポ・マリアが、自分を後継者として指名してくれるよう望みましたが、フィリッポ・マリアが後継者の指名をしないまま、1447年に亡くなると、ミラノ市民はアンブロジアーナ共和国を宣言します。フランチェスコ・スフォルツァが公位を継承できたのは、ロンバルディーの都市を一つ、また一つと攻略し、最終的に、1450年にようやく、ミラノの降伏を受け入れた後のことです。公位は、世襲によって受け継がれるべきものであり、もちろん、フランチェスコ・スフォルツァは、正当な公位継承権を持たなかったのですが。彼は、自らが、ヴィスコンティによる統治の正当な継承者であると思わせたいと躍起になっていました。ですから、ヴィスコンティ家の紋章やモットーなども全て、自らのものとして継承したのです。スフォルツァ家の独特の紋章である三つの繋がった輪と共に、ヴィスコンティ家の紋章がいくつも描かれていることこそ、ヴィスコンティ・スフォルツァ・カードがフランチェスコのために作られたことを示す決定的な証拠となるのです。三つの輪は、月桂樹や椰子の葉(ヴィスコンティ家の紋章)と共に、公爵の冠と関連付けられ、「皇帝」や「女帝」の装束に描かれています。フランチェスコが、自ら公位を継承する以前に、そのような関連付けを容認するとは考えられません。したがって、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックが描かれたのは、1450年以降と考えて間違いありません。

ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックには、4枚だけ、欠けているカードがあります。「悪魔」「火(または塔)」「コインの騎士」「ソード(剣)の3」です。また、トランプの内の6枚は、明らかに別の画家の手によるものです。それらは「勇気」「節制」「星」「月」「太陽」「世界」です。その他の68枚と、ブランビッラ・パック、ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックについては、一般的に、同一の画家の手によるものと考えられています。ブランビッラ、ヴィスコンティ・ディ・モドローネの両パックは、フィリッポ・マリア・ヴィスコンティのために描かれたとする説が一般的です。その理由として、例えば、ブランビッラ・パックのコイン・スートの記号には、同公爵によって発行された貨幣両面の刻印が用いられているのです。エース、2、コートカードを別にして、ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックについても同じことが言えます。さらに、ブランビッラ・パックにおいては、描かれている紋章が他の2つのパックよりも少ないのですが、そこに描かれた紋章は全てヴィスコンティ家に関係するもので、明確にスフォルツァ家に関係するものが一つもありません。cavalliの馬の飾り衣装には、ヴィスコンティ家の紋章が付けられ、また、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックにおけるのと同様に、ヴィスコンティ家のモットーである「a bon droyt (善き正義によって)」が、いくつものカードに描かれています。ですから、これが、フィリッポ・マリアのために描かれたことは、確実でしょう。

ブランビッラ・パックには、たった2枚のトランプ、すなわち「皇帝」と「運命の輪」しか現存していませんが、そのスタイルは、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックのものと区別がつきません。これが、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックと別の画家の手によるとは、到底、信じられないことです。これら3組のタロットパックについて、美術史家による本格的な研究が始まったのは、1912年、トエスカが初めて、3組全てを、Zavattari兄弟とその仲間たちの手によるとしてからです。1928年、ロンギは、これらを、ボニファシオ・ベンボの作とする説を提起しました。この説は、1936年にはWittgens、そして1939年にはRasmoによって、強力な支持を得ます。つい最近、Giuliana Algeriが、モンツァのテオドリンダ礼拝堂にあるFrancesco Zavattariの作品と、ブランビッラ、ヴィスコンティ・スフォルツァの両パックの間にスタイルの類似性が見られるとして、両パックが、Francesco Zavattariの作だと言い出すまで、この説に異論を唱える人は誰もいませんでした。Algeri女史は、「ランスロットの物語」の写本に描かれた、ベンボの作とされる挿絵との間に、さらに強い類似性が見られると説明し、これらの挿絵についてもFrancesco Zavattariの作であるとしています。しかし、スタイルを根拠に作者を特定することは、あまり当てになりません。というのは、ベンボの作であるとはっきりと分かっているものが、クレモナの聖アゴスティーノ教会内のCavalcavo礼拝堂のフレスコの他に、ほとんど残っていないからです。いずれにせよ、もしブランビッラ・デッキが存在しなければ、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックを、ベンボの作とするのを妨げるものは何もありません。ベンボについては、フランチェスコ・スフォルツァに仕えていたことは分かっていますが、フィリッポ・マリアに仕えたかどうかは不明です。ヴィスコンティ家の公爵のために作られたパックの作者をベンボとするなら、その制作年代は、極めて限られることになります。彼は1420年に生まれました。彼の作品とされるもので、年代が確定できる最古のものは、1442年に制作されています。フィリッポ・マリアが、当時、そんなに若い画家に仕事を依頼するとは考えにくいですし、フィリッポ・マリアが盲目となった最晩年に、カードの制作を依頼するとも考えられません。もし、Zavattariの作だとすれば、このような問題はありません。彼が活動したのは、1417年から1453年にかけてです。だとすれば、ブランビッラ・パックは、1420年から1444年の間のいつか、そして、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックは、1450年から、遅くともそれより2年以内に制作されたと考えられます。

コイン・スートに、フィリッポ・マリアが発行したフローリン金貨と同じ刻印を持つことに加えて、ヴィスコンティ・ディ・モドローネとブランビッラの両パックの共通点として、バトン(棍棒)が、その数札やコートカードで、矢の形に描かれていることがあります。しかし、ヴィスコンティ・ディ・モドローネとヴィスコンティ・スフォルツァの両パックの間にも、極めて珍しい共通点があります。ソードのスートの数札で、ソードが真っ直ぐに描かれているのです。常套的なイタリアのパックでは、ソードは湾曲しており、ブランビッラ・パックでも、そうなっているのですが。さらに重要なことは、コートカードの人物の装束に、ヴィスコンティ家とスフォルツァ家、両方の紋章が描かれていることです。カップ(杯)とコインのスートでは、それぞれ、椰子の葉と鳩が、ヴィスコンティ公爵の冠と一緒に描かれています。また、ソートとバトンのスートでは、スフォルツァ家の紋章であるマルメロの枝と泉が描かれています。

ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックには、他には見られない、不思議な特徴があります。67枚のカードが現存していますが、その数字が示すほどは、揃っていないということです。すなわち、各スートには、元々、6枚ずつ、コートカードがあったと考えられるのです(各ランクに、男女一人ずつ)。トランプカードは、11枚しか残っていません。「女帝」「皇帝」「愛」「勇気」「信仰」「希望」「慈善」「戦車」「死神」「天使」「世界」です。当然のことながら、神学上の三美徳は、標準的な並び方には存在しないものです。「勇気」が含まれているのを見ると、このパックには、元々、七美徳の中の残りの3つ、すなわち「正義」「節制」「分別(倹約)」も含まれていたと考えざるをえません。この内、「分別(倹約)」以外の2つは、標準的なトランプの主題に含まれています。

ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックの数札が、フィリッポ・マリアの治世中に描かれたことについては、Giuliana Algeriも同意しています。しかし、彼女は、スタイルを根拠に、コートカードとトランプは、別の画家の手によるものであると、さらには、それらが描かれたのがずっと後のことだと主張します。具体的には、1468年にフランチェスコ・スフォルツァの息子であり後継者であったガレアッツォ・マリアが、サヴォイのボナと結婚した際に、それを祝うために描かれたと言うのです。この説の裏付けとしてあげられているのが、「愛」のカードが、他のカードよりも念入りに作られているということです。「愛」のカードでは、パビリオンの前で、男女が手をつないでいます。パビリオンの上にはキューピッドが飛び、二人の足元では子犬が遊んでいます。パビリオンには、盾が飾られており、その盾には、ヴィスコンティ家の蛇と、白の縁取りのある赤地に描かれた白十字とが、交互に描かれています。このカードに描かれているのが婚姻の場面であり、このパックが婚礼のプレゼントとして作られたということは、ほとんどの研究者が一致するところです。だとすると、問題は、誰の婚礼かということです。その答えを求めて、白十字の付いた盾が誰のものかを突き止めようとした人たちがいます。1831年、このパックについての最も古い記録を残しているLeopoldo Cicognaraは、白十字が、長くヴィスコンティ家の領地であったパビアの紋章であるとしています。ロバート・スティールは、1900年に書かれた有名な論文の中で、これを否定し、白十字をサヴォイの紋章だとしました。彼は、このパックが、1428年のフィリッポ・マリア・ヴィスコンティとサヴォイのマリアとの結婚を祝って作られたと結論付けたのです。Giuliana Algeriは、盾については、スティールの見方に同意したものの、結婚については、もっと後のものだと考えたのです。ロン・デッカーは、盾に付いた紋章がパビアのものであるとしたCicognaraの見解を支持しました。彼の説を受けて、スチュアート・キャプランは、結婚が、1441年に行なわれた、フランチェスコ・スフォルツァその人と、ビアンカ・マリア・ヴィスコンティのものであるとの説を提起しました。

実のところ、盾については、どちらの解釈を採ることも可能です。「愛」は、トランプの標準的な主題の一つではあるものの、男性のケープに描かれた泉(スフォルツァ家の紋章)は、スフォルツァ家の婚姻が暗示されているとする説を後押しするものです。しかし、数札だけを先に作って、それを少なくとも21年間の長きにわたって保管し、それからようやく誰かが、その他のカードも作ってパック一式を揃えようと考え付いたとする、Giuliana Algeriの推測は、到底、説得力を持ちえません。画家が一人であれ、複数であれ、あるいは、誰であったとしても、このパックは、最初から一組のものとして計画され、制作されたものです。そうだとしたら、デッカーとキャプランによる仮説こそ、スフォルツァ家の紋章と、フィリッポ・マリアのフローリンが描かれていることを両立させる、最善のものだと思われます。

したがって、ブランビッラとヴィスコンティ・スフォルツァの両パックを、Francesco Zavattariの作(前者は、フィリッポ・マリアのために作られ、後者は、フランチェスコ・スフォルツァのために作られた)とすることは、とりあえず、納得できます。しかし、ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックを後代のものとすることは、納得しかねます。ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックの年代は、1441年でなければなりません。トロットカードの歴史においては、画家が誰かということよりも、むしろ、いつ作られたかということの方が重要です。画家が誰かということは、いつ作られたかを明らかにするためのヒントとして重要なだけなのです。ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックについては、複数の画家が、絵を描いた可能性があります。その中に、Francesco Zavattariが含まれていなかったとしても、彼らが同じ流派に属していたことは確かです。ブランビッラ・パックについては、これまでのところ、非常に曖昧な年代しか分かっておりません。しかし、一番のヒントは、ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックの標準的ではない構成に隠されているのです。

ガートルード・モークレイは、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックについての彼女の素晴らしい著書の中で、ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックが、germiniあるいはminchiateデッキではないかとの説を提起し、Algeriもそれに賛成しています。しかし、これは、モークレイが犯した数少ない過ちの一つです。この説は、完全に歴史を無視しています。この説の唯一の根拠は、神学上の三美徳が含まれているということだけです。germiniパックでは、普通のタロットデッキ同様、コートカードは4枚です。6枚ではありません。さらに言えば、40枚もトランプがあるとすれば、数字を付けることは絶対に必要です。しかし、ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックのトランプに、数字は付けられていませんでした。germiniゲームがイタリア各地に広まったとしても、元々、フィレンツェで誕生したものであることは疑いようがありません。もし、この有名なゲームが、ミラノで、80年も前に考案されていたのなら、その80年の間に、このゲームについて、何らかの記録が残されていたはずです。そして、フィレンツェの人々が、このゲームを、自分たち独自のゲームとして、あれほど誇りにすることも無かったはずです。既にあるゲームに周到な改良を加え、germiniゲームが考案されたのは、1526年から1543年の間のことです。そして、それは、ミラノのヴィスコンティ家の宮廷とは、全く違った文化的環境で生まれたものなのです。ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックをgerminiパックであるなどと言うのは、インチキ学者の言うことです。

ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックが作られたのは、まだ、タロットゲームが発明されたばかりのころです。これは、類例の無い、実験的なものであったのかもしれません。タロットパックの形式がはっきりと確立される前の初期段階なのだと考える方が、ずっと楽しいではありませんか。そうだとすると、ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックは、各スートが10枚の数札と4枚のコートカードという標準的な構成を持つブランビッラ・パックよりも古いと考えられます。ブランビッラ・パックが作られたのは、おそらく、1442年から1445年の間です。タロットカード全般の発明が、1440年よりかなり遡ることは考えられません。トランプの枚数と一つのスートの枚数との比率が、78枚形式の場合と同じく、3対2という簡単な比率になるとすると、ヴィスコンティ・ディ・モドローネ・パックのトランプの数は、24枚だったと考えられます。これは、七美徳の全てと、次に標準的なトランプ主題の全てを含めようとすると、1枚、足りない枚数です。この1枚とは、おそらく「女教皇」であったと考えられます。「女教皇」は、他のトランプ主題と比べても、圧倒的に奇妙な存在であり、ヴィスコンティ・スフォルツァ・パックで初めて(おそらくは、「思慮分別(Prudence)」に代わって)登場した可能性があるのです。



ミニチュア・ヴィスコンティ版
Mini Visconti Tarots/Lo Scarabeo社製
サイズ 縦横奥行き8.4×4.5×3 cm


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