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タロット研究室
タロットの札番号について
現存する最古のヴィスコンティ・タロットには番号もタイトルも記されていないことはご存知の方も多いでしょう。しかも、ヴィスコンティ・タロットではいくつか「欠損」とされている札があり、22枚のセットで現存しているわけではありません。いや、欠損なのかはじめからなかったのか? ・・・これについてはほぼほぼに最初から22枚のセットでスタートしたトリオンフィ※なのだという現在注目されている説を先日のタロット学でも取り上げさせて頂いたところです。
ヴィスコンティ・タロットの時代にはまだ「タロット」ということばは生まれておらず、それらの絵札は「切り札/trionfi (トリオンフィ)」と呼ばれていました。一方で、「タロッキ/tarocchi >「タロッコ tarocco」の複数形 」は、15世紀イタリアのマンテーニャ版などがあるように散見されています。やがてフランスにて発祥したとされる「タロット/tarot」が広まりだし、英語圏において通称として用いられるに至ります。
1500年代にすでに22枚でワンセットとなるトリオンフィ=タロットの体系が確立されていたエピソード、比較的多く散見されます。
ブダペスト・ファインアーツ美術館
Budapest Museum of Fine Arts/ミュージアム・オブ・ファインアーツ
15世紀イタリアの貴重なノーカットのタロットシート
切り札と宮廷カード、剣と棒のスーツのみ。同じ木版画から印刷された複製シートが、1922年にニューヨーク市のメトロポリタン博物館に売却されている。イェール大学のCary Collection of Playing Cardsは別の複製シートがある。一色刷りステンシル彩色。
左から15?「塔もしくは神の家」、10「輪」、13「死神」、14「悪魔」という番号付きのタロッキもしくはトリオンフィ。
下記、推定1643年のヴィヴル版には各札にローマ数字が振られていますが、タイトルは見られません。
一方で、1659年のノブレ版には明確なタイトル表記が確認できます。
そして、1709年のドダル版から札番号とタイトル表記はゆるぎないものと化し、マルセイユ版のカノンが世界に浸透していきます。
(ストリートアカデミー・タロット日曜美術館より)
マルセイユ・タロットの生成過程で標準型が確定していたとしたなら、マルセイユ・タロットその物が革命的なタロットだと言うことにもなり、ノブレの1659年~ドダルの1709年の40年間はエポックメイキング・ゾーンなわけです。
そもそも、謎のトリオンフィのセットが、時代を上がるにつれて枚数をそろえ、番号と名前を振り当てられるようになったわけです・・・一体、現在のスタンダードとされている大アルカナの番号、タイトルはどのような流れで決まっていったのでしょうか?
何かと「正しい」「伝統」にこだわるタイプのタロット愛好家&研究家ですが、状況的に「正しくないタロット」が散見されて然りの1500~1600年代です。「正しさ」のスタンダードが決まる前後の「正しくないタロット」にこそ興味がわいたり、歴史的なカギがあるものだと考える研究家は、フランス、イタリアあたりには結構いらっしゃるご様子です。現地のタロット研究家たちに逢いに行ってみたいものです。
1600年代にどういう経緯で、タロットの札番号が確定したり、タイトルが確定されていったのか? こういう未知の領域に足を踏み入れようとする研究家があまりにも少なくはなかろうかと、いささか不安になる昨今ですが、せめて会員の皆さんの興味関心に応えていければ幸いです。
2022年6月開講のタロット学より